2004-03-28

近況

flower girl CANON の CM で夫妻の横を固める少女の役回りが気になっていた. カメラに向かい "パパ, ビデオとって" というのだから夫妻の娘ではない. 知合いの結婚式にあらわれた実物をみて謎はとけた. 彼女は花道(ハナミチ)に花弁をまくのが仕事の flower girl というらしい. 別に目立ちたがりやの図々しい子というわけではなかったのだな.

式に集まった参列者の数は想像より多くて, ある人の人間関係のうち自分はふだんその一部だけを目にしているのだという忘れがちな事実を思いだす. それからなんとなく, ソースコードのレポジトリを想像した. ヒトはそれぞれ人間関係のレポジトリをもっている. そんなかんじ. データベース. 私にわかるのは自分が関与した一連のトランザクションだけで, 実際は他に無数のトランザクションが行われている. 結婚式は人間関係のスナップショットだ. ああ, 彼らにはこんなに沢山の人間関係がコミットされていたんだな. そう思って少し感動する. スナップショットと同時に更新履歴もわかるのが結婚式の面白いところだ. 会場を見回す. あのへんが高校の時の友達, 部活はそのとなり, はじっこにいる連中. 大学時代はあのあたり, その頃のバイトの知合いがあのへんだって, 真ん中あたりが職場の同僚らしいよ, 年寄と子供の多いところが親類かな. 夫妻はその間を巡りながら思い出話をよせあつめ, 彼らの更新履歴を読み返しながら記憶を反芻していく. あの時は楽しかったね, これからもよろしくと.

各人の記憶に収められた人間関係はもっと大きなレポジトリの部分集合にすぎず, 人間関係のトランザクションは二つ以上のサブセットについて行なわれる何らかの演算だと考えることができる. たとえば共通部分の版をチェックして情報を最新のものに書換える, 足りない部分を相手からコピーする. わずかな共通部分をもとに欠落した情報を補い合い, 数年来途切れていた親交が蘇りゆく様をみると感慨深い. そんな友情に憧れる. 記憶という系の何と堅牢なことか.

部分集合としての記憶, 記憶としての Web

Web には更新履歴がない. みなそれを前提にしている. (だから Internet Archive を恐れた.) この後腐れのなさは失うものも大きい. 人間関係を支えるツールとして Web を使おうと思うなら, こうした時間軸方向の冗長さや堅牢さにも気を使いたい. それがどういう方法なのかはわからない. orkut のように centralized なシステムなら運営者ががんばって記録を残せばすむ. 同じことを Web 全体でするのは難しい. Internet Archive は明らかに scalability を欠く. 部分集合としての記憶というメタファに従うなら, たとえばブラウザが閲覧結果をすべて保存しておく方法が考えられる. URL だけでなく実際のコンテンツを保存する. 素朴な実装として思いつくのは HTTP のキャッシュ機構を拡張する方法: キャッシュエントリのキーにタイムスタンプを追加し, 同じ URL でも取得日時が違うものを別のエントリとして扱う. そして新しいコンテントで上書きせずに, 古いものも残しておけばいい. 利用者が自分の計算機に小さな Internet Archive をもっているかんじ. 集められたキャッシュを相互に検索できるようにすれば分散 Internet Archive になる. 余ったディスク資源の用途としては悪くないかもしれない.

参考