2004-04-07

近況

風邪にて病欠中. 花見の場所とりをするには無理の効かない体だと反省する.

この風邪の症状は急性アルコール中毒に似ている. 体の芯が熱く, 指先は冷い. 頭痛, ふらつく足元, 赤面, 高熱. 看護婦はまるでよっぱらいだと形容した. 会社をさぼりたくなるなら, アルコールを持ち歩くのが手頃かもしれない. あまりごきげんにならないよう気をつけて.

Zooko's Law

花見のはじまりを待ちながらした話のなかで, 名前についてのルールを思いだした. "Decentralized, Secure, Human-Meaningful: Choose Two" というのがそのルール. ネットワーク上の名前にとって望ましい三つの性質 ... Decentralized, Secure, Human-Meaningful ... は, 同時に二つまでしか満たすことができない. たとえば DNS. Secure で Human-Meaningfull だが, decentrized ではない. PGP のような PKI 署名は Decentrized で Secure (つまり self-authenticating) だが Human-Meaningfull ではない. Decentrized で Human-Meaningfull な名前の具体的な例は思いつかないけれど, それは Secure でないはずだ. こんなトレードオフを理解しておくと, 完璧な名前解決システムの妄想に捕われず次のステップに進むことができる. そんな話.

計算機の世界, オンラインには信頼境界がくっきりと存在する. 一方 現実世界, オフラインの信頼境界はぼんやりとしたものだ. オフラインの物理的な制約をつかい, 前述の Zooko's law を克服できはしないか. 正確には, オフラインが既に持っている centralized な仕組みに寄生することで, オンラインの世界には新しい権力機構を作らずすませられないか. 例えば "住所" は郵政公社や国土地理院に依存することで, オンラインの center に頼らず Human-Meaningfull かつ Secure な参照を実現しうる.

オフラインは信頼と強く結びついている. だから信頼を基盤とするサービスがオフラインの特性を利用しようとするのは悪いアイデアではない. かといって住基ネットのように極端に中央集権化されたものに依存するのは気持がわるい. そもそもオフラインの持つ信頼感はどこから生まれるのだろうか. あるいはオンラインがなぜ信用ならないか. それをよく考えてみたい.