2004-07-04

近況

小麦粉をこねナンを焼き, 柔らかさの比喩としてのみみたぶとその妥当性に思いを馳せた.

みみたぶとナンの生地はそれほど似ていない. ナンの生地は簡単にちぎれるし可塑性も高いが, 耳は(簡単には)ちぎれないし形状は一定. ゴムに近い. 生地の柔らかさは, 例えばスナック菓子と同時に食べたチューインガムに似ている.

それでもこの回りくどい喩えを持ち出す気にはならい. やはりみみたぶの方がいい. みみたぶが他の参照と比べて特に優れているところは, おそらくその普遍性であろう. 誰しも多かれ少なかれ耳たぶを持っている. 生地をこねながら参照できる手軽さもまた大きな利点だ. 右手で生地をこねながら左手で耳をつまむ姿は絵になる. ガムを噛みながら菓子をぱくつく躾の悪さを期待はできないし, 調理者にこの不快な経験を強いるのにも気がひける.

さて, ここから優れた比喩の特性をいくつか学ぶことができる. つまり, 普遍的であること, 実時間での比較対照が行なえること. たとえば聞き手を情報産業従事者に限るなら, こんな比喩もそう悪くはないだろう: ナンの生地はあなたの脇腹に似ている.

わたしを束ねないで

仕事がいそがしくなると夜眠る前に詩集を読む. いつでも読みやめられるところがいい.こっそりと声に出して詩を読めば, 暴走気味の頭も落ちいてくる.

今は現代詩文庫の 新川和江詩集 を読んでいる. なかなかいい. 生命力にあふれている. "わたしを束ねないで/あらせいとうの花のように" と始まる "わたしを束ねないで" は特にすこやかだ. 歴史的な事情により Java プログラマの間で広く親しまれているこの詩は次のように続く.

わたしを束ねないで

あらせいというの花のように

白い葱のように

束ねないで下さい 私は稲穂

秋 大地が胸を焦がす

見渡すかぎりの金色の稲穂

このあとも "わたしを止めないで..." "私を注がないで" と訴えが並ぶ. 私も共鳴して何かを訴えたくなる. たとえばこんな風に:

わたしを直さないで

うちまちがえた記号のように

青い e のように

直さないで下さい 私は仕様

春 レビュアの胸を焦がす

見直してほしい曖昧な仕様

あるいは

わたしを肥やさないで

ユーフラテスの畔のように

黒い牛のように

肥やさないで下さい 私は脇腹

限りあるベルトの穴をかいさぐっている

海より山を愛する脇腹

なお, 全文は google で探すと(なぜか)すぐみつけることができる. このページ は著作権的にも安全そうな感じ. それにしてもいまいちうまくいかないなあ. 日々の抑圧; わたしを束ねる何かが足りなのかもしれない. 納期と給料くらいか.

わたしを急かさないで

レポートやミーティング いくつかのマイルストーン

そしておしまいに「リリース」があったりする

線表のようには

こまめに様子を見ないでください 私は顧客のないプロジェクト

風呂敷と同じに はてしなく流れていく 拡がっていく

一枚のロードマップ