2004-07-12

近況

勤め先にドリンク・サーバがやってきた. それまで使っていたカップに清涼飲料水は映えず, グラスへの乗換えを敢行. カップは歯ブラシたてとして余生を過ごしていただくことにする. 新しくやって来た顔付きグラスは愛嬌があって, テディ・ベアのかわりに話しかけたくなる. 同僚達はそういった行為に寛容でないと考えるのが安全だろうから, たまに眺めるだけで我慢しよう.

ドリンク・サーバは楽しい. 自分のブレンドを作って遊ぶことができる. ペプシコーラの炭酸割りをヘフシコーラと名付けたものの定着する様子はなかった. 高校生の時分, ファミリーレストランで過ごした無為な時間を懐しみながら, ただ皆脇腹を気にしている.

フラレ小説

斎藤美奈子の 妊娠小説 という評論がある. 日本文学には "妊娠小説" というジャンルがあると主張する話で, 斎藤美奈子の評論の中でもかなり面白い部類にはいる. 新井さんが女性に振られる話を続けているのを見て, 以前この本を読んだ時に考えていたことを思いだした: "妊娠小説" と同様に, 世の中には "フラレ小説" というジャンルもありうるのではないか.

斎藤美奈子による妊娠小説の定義は以下のとおり:

これにならってフラレ小説を定義してみる:

世に流布する恋愛小説はそれなりの割合で一方的にフラレる事態を含んでいるだろうから, この定義だと少し広すぎるかもしれない. よりフラレ・セントリックで救いのない構成の物語をフラレ小説と呼びたい. そこで以下の二点を付け加えよう.

フラレ小説の着想は, "妊娠小説" と同じ頃に読んだ ガラテイア2.2 から得た. 話の内容はさておくとして, 主人公がフラレ相手に電話をする場面のみっともなさがすばらしい.

"ひとつだけたずねていい? わからないの. どうして私なの?"

それは君が, 世界のもろい変数的名詞性を体現しているからだ. はかなくて, 明晰で, 記憶していて, 不活性な状態へと戻る途中の, すべてのものを. それはきみが, 信じていて, まだあきらめていないからだ. それは僕が, ふりむいたら必ずきみに僕の見たものを教えたくなるからだ. それは僕が, 毎晩眠る前にきみと話しさえできたら, 政治だって相手にするし, この絶望的な不均衡を生きることだってできるからだ. きみが二本の指でああやって, 目にかかる髪を払いのけるからだ.

言いたいのはそういう言葉だった.そのかわりに, 僕は言った.

"世界中の男性や, 私生児として生まれたその異母兄弟でも, きみのことを愛しているよ. きみがそれに気づいていないのが, 理由の一つさ"

"いったい私に何の用なの?"

こうしたカタストロフィックなフラレを堪能することは小説の楽しみの一つであるべきだろう. そう考え, いつかフラレ小説を収集ようと決意したのを思いだす.

その夢を叶えないまま私は学生生活を終えた. 目標の成就には大きな壁がある: フラレ小説にはそれを支える批評的背景がない. "妊娠小説" の明快さはフェミニズムのパロディ精神が支えている. そのカウンターとしてフラレ小説のための枠組みを作ることは私の手に余った. フラレ小説への関心を支えるのは感傷への共感だ. 感傷は, 批評をもって擁護するにはあまりに支持されすぎている. それに無意識の感傷によって正当化されている情けないあれこれは, 庇うのが難しいものばかりだ. そんな中で "私は感傷を愛する" と胸を張って宣言する覚悟を持てず, 野望はついえた.

それでもフラレ小説は生まれつづけていくとは思う. どんな罵りや嘲りを受けようとも, 甘い甘い感傷への需要が途切れることはないのだから; とかくフラレがちな私達が生き続けていく限りは.