2004-11-28

近況

さぼり気味だったメモとりを復活した. change.log に作業の記録をつける. なるべくこまめにやる. 朝出勤, メールを読む, 休憩, 食事, xx のバグをとる. ミーティング, etc. 前回はそれなりにがんばっていたのだが, 諸事情により習慣となるには至らなかった. できれば習慣化したい.

メモに馴染んでくると, 色々メモしたくなる. 計算機関係の本には読みながらメモを書きむようになった. それでもまだ字を書き込むのには抵抗がある. ふせんを貼り下線を引くのは平気なのに. 慣習をふりほどくに要する時間は長い.

休日にでかけた先でもメモをとりたくなる. この本欲しい. そういえばあれをやり忘れていた. 面白いことを思いついた. 変な人をみた. そんなこともメモしておきたい. 帰宅後に PC に向かい思いだそうとしても, 揮発性の記憶はほとんど失なわれている.

"この本欲しい" のように物理的なキーがある時はデジカメが役に立つ. デジタル万引の誤解を覚悟に表紙を盗る. それ以外の時に困る. ケータイを試したが, 入力が不自由な上にメモへ至るパスが多くて挫折した. かばんから取り出す, 開く, メニュー起動, メモアプリを選択, メモのファイルを選択. Ctrl-N に bind され常時起動しているエディタ上のメモと格差が大きすぎる. 紙の手帳はもっと苦手だ. 立ったまま手帳に書き込みができる人を私は尊敬する. 私がそれをやると後に判読できない. ケータイにしろ手帳にしろ, 訓練によって克服できるものなのかもしれない. ただ他に手があるような気がしていまだ commit できずにいる. 手に指で字を書くくらい手軽であって欲しい. 実現は遠い...

最近読んだ本 : チェチェン やめられない戦争 (アンナ・ポリトコフスカヤ)

イラクやアフガンやパレスチナの情勢はたまにニュースでやるのでなんとなくわかった気になっている. チェチェンはどういうわけか(というかアメリカやヨーロッパ諸国が関与していないので)ほとんどニュースにならない. あのへんは何が起きてるんだろうなあとロシアでテロがある度に思っていて, 何となく読む.

レポートはジャーナリストである著者が実際に現地に入って書いたもので, ひどく生々しい. いかにチェチェンが酷いな状況にあり, 現地の人々が絶望をもって暮らしているかが綴られている. 対テロ名目の戦争での常套手段になっている "テロリストをかくまっているという理由をつけてやりたい放題する" というのがどういうことが具体的にわかる. 読んでいると相当陰鬱な気分に.

現地レポートが中心なので情勢の概要は把握しにくい部分もあるが, それは巻末の解説文でフォローされている. 要はロシアもアメリカと同じような事を, もしかしたらより露骨にやっている. という話だった. 油田あり, イスラム教とキリスト教の対立あり, 利害のありようも似ている.

戦争難のイメージ

ところで日本の普通に教育を受けた人(=私)は, 原爆や空爆のような大雑把な殺人や, あとはせいぜいナチスドイツの収容所のようにわかりやすい虐待くらいしか戦争の災難イメージをもっていない気がする. あとは東南アジアのジャングルの中で仲間が死んでいく軍人の話とか. だから "戦争の災難 = 死ぬこと(運が悪いと)" という印象がある. (斎藤美奈子の 戦下のレシピ はそういうナイーブな印象を否定し, 戦争の苦痛とはそれ以前にまずろくにものが喰えないことである, という話をしている. 余談.)

これは現在おきている内戦や自称対テロ戦争の実情とはたぶんだいぶ違いそう. まず自分の住んでいるところにいきなり軍隊がやってきて(白兵戦で)殺戮を繰り広げる. しかも圧倒的に戦力差があって一方的に殺されたり拷問されたりする. より決定的な違いはなかなか戦争が終わらないこと. 今時の戦争は降伏というのがないので, やられる側はいつまでたってもやられ続ける. その絶望は想像に難くない. "戦争の災難 = 相手の気が向くまま永遠に蹂躙され続けること" というのが現在の戦争の実態に近いのだな, と今更ながら思ったのでした.