2005-01-10

近況

年末年始は無為にすごした. スキー場に雪はすくなく, 借り物のスキー板と若干の良心が痛んだ. ただ読書だけがはかどった. 本はいい. 今年は 仕事をがんばらない を目標に暮らし, 本を読みたい.

最近読んだ本 : 銃・病原菌・鉄 (ジャレド ダイアモンド)

だいーぶ前に流行った本. ふと読む. 人類はなぜ民族間でこれほどまで優劣がついてしまったのか, というのをテーマに話を進める. それは遺伝子でなく環境による差なのだと主張するのだが, とにかく話がクドイ. 政治的な意味を持つ主張だけに, 証拠を示しては, ほら, そうでしょう? と説得してくる. 文化は南北より東西に速く広がるとか色々面白いエピソードを紹介しているのに, 上下巻を通した主張のしつこさにだんだん読む気が失せてくる. 正味は 1/3 くらいの厚さで足りそう. ダイジェスト版が欲しい.

そういえばこの本もある意味 blank slate を巡るあれこれの一部なのかもしれない. ただ遺伝子の差異についての議論をまったく欠いている以上, 最前線ではなさそう. 環境擁護派の後方支援だな.

最近読んだ本 : 環境リスク学 (中西 準子)

環境学者である著者の講演やコラムをまとめたもの. レコメンドを受けて. 自伝に近い講演から, 著者の仕事が概観できる. また, 政策リスクを巡る現状には驚く. たとえばある政策がもつ環境への影響があまり分析されていないなど. それに対し, 著者の用いている 損失余命 というメトリクスは, 大雑把なようだが客観的だ. そこでの "人が死にやすくなること=リスク" という定義には反対しようがない. こういう取り組みによって環境に関する議論が少しでも生産的になれば良いと思う. 環境を巡るヒステリーはかえって無関心を招いている気がするから.

それはさておき, 自分が統計やリスク管理についてまったく無知だと気付く. 少し勉強したい.

最近読んだ本 : 結婚の条件 (小倉千加子)

働いて家計費を稼がなければいけない二等主婦の上に, 働かなくても青山でお洋服を買って消費できる一等主婦がいる. さらにその上に, 働くことにお金を消費することが許される特級専業主婦がいるのである. 消費としての労働の登場だ.

エッセイ集. 斎藤美奈子が何かの書評で 負け犬の遠吠えよりこっちの方が面白い と言っていたのを見て. "青年よ, 大志をすてて, 結婚しよう" という文句の帯だが, 実際には結婚しない女性の話が中心. 売り方を間違えている気がする. 小倉千加子はその矛先が自分(私)に向かない限り普通に面白い. "特級専業主婦" とか. 主張していることは, 近代日本のあれこれによって結婚の価格弾力性がはね上ってしまい, 手持の財はかわらない(上にその自覚がない)ので結果として未婚が進んでいるのだ, というようなこと. ここでは 消費者=女 で 商品=男. 理想の結婚相手でない限り結婚しないというスタンスでいたら, そりゃ結婚しないよね, という. こういう話は特に目新しくないが, 女性誌などからの引用とその解釈が楽しい.

こういうのを読むと, 結婚は生活用品から嗜好品になったのだなと思う. (恋愛は昔から嗜好品.) だから小倉千加子は文中で結婚を洗濯機に例えているけれど, どちらかというとクルマとか時計とか iPod とかに近そう. 洗濯機はないと不便だからダサくてもとりあえず妥協して買うけど, しょぼい mp3 プレイヤーは要らない. つまらん男となら結婚しないのはそういう心理なのかもしれない. 同じ嗜好品である恋愛と結婚の違いはなんだろう. 海外旅行のような娯楽とクルマのようなモノの違いかしら.

最近読んだ本 : グレート・ギャツビー (フィツジェラルド)

古典を読んでないという後ろめたさを晴らすべく読む. そんな動機だけに内容は期待していなかったのだけれど, なかなか読みでがあった. 中西部出身の若者が東海岸にやってきて野心をうちたてたりうちたてなかったり, 都会の暮らしに馴染めたり馴染めなかったりする話. 心に田舎者を飼っていると, ギャツビーや主人公の悲哀が身に沁みる. それに, 私はギャツビーのような男を知っている. 彼が愛すべき人物であることも.

登場人物たちと年が近いとのは共感しやすさに寄与しているかもしれない. 十代後半から二十代前半の読者を主ターゲットとした名作文学市場で, 30 間近の私でも楽しめるこの古典は有難い.

最近読んだ本 : ナイン・ストーリーズ (ナイン・ストーリーズ)

電話は鳴るにまかせたまま, 小さな筆を動かして小指のマニキュアを続け, 爪半月の輪郭をくっきりと仕上げた彼女は、 おもむろにエナメル液の瓶の蓋をしめ,それから立ち上がりながら左手, つまり濡れているほうの手を前後に振って風に当てた. それから乾いてるほうの手でソファの上から吸殻でいっぱいの灰皿を取り上げると, そを持って電話がのってるナイト・テーブルのそばへ歩いて行った. 彼女はきちんと整えられているツイン・ベッドの片方に腰を下ろした. そして受話器を取った --- 五度目か六度目のベルが鳴ったとこだった.

古典つながりで読んだサリンジャーの短編集. 巻頭の "バナナ・フィッシュにうってつけの日" はクールでいい. が, 他のものには特に興味をひかれず. ホールデンにも大した思い入れのない私は, 繊細な正しい若者であったことがなかった. だからサリンジャーをあまり好きになれない.

最近読んだ本 : その名にちなんで (ジュンパ・ラヒリ)

"きょうという日を覚えていてくれるか, ゴーゴリ?" と, 父が振り向いて言った. 両手をイヤマフのように左右の耳にあてている.

"いつまで覚えていればいいの?"

うねるような風の音の中で, 父の笑い声が聞こえた. ゴーゴリが追いつくのを待って立ち, 近づくゴーゴリに手を差し伸べる.

"ずっと覚えてるんだぞ" ゴーゴリがたどり着くと父は言い, 急ぐこともなく防波堤を後戻りして, 母とソニアが待つところへ連れていった. "覚えておけよ. おれたち二人で遠くへ行ったんだ. もう行きようがなくなるくらいまで行ったんだからな"

アメリカにやってきたインド人の夫婦と, アメリカで生まれ育ったその息子をめぐる話. 留学先での成功を目指す父アショケに, 母アシマが嫁入りするところから物語が始まる. たぶん 70 年代. 世間しらずで従順な妻であるアシマの姿に感じる既視感は, 日本の男性向け社会的欲望充足物語の類に出てくる理想の妻のステレオタイプに由来している気がする. 描かれているインド人の結婚観も昔々の日本のそれによく似ている. ものすごく保守的で禁欲的. 息子であるゴーゴリはアメリカ生まれでありながらインド人というハイブリッド. (ABCD というらしい.) 保守的な両親を見下していながら, アメリカ(東海岸)の価値観を完全には受け入れられない. その葛藤や挫折, 両親への思いなどが物語後半の主題となる.

なんて書くとまるっきり田舎者自分発見小説なのだが, 視点を固定しないスマートな文章がうまくてベタさは強くない. うまい. なんとなく 百年の孤独 を連想する. 見知らぬ土地にやってきて奮闘する家族の姿がだぶるからかも.

あとインド料理がよくでてくる. うまそうです.

最近読んだ本 : すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた (ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)

"物語が好きなんですか?" と彼は尋ねた.

"ああ"

"そこにある本物のメープル・シロップのひと匙とひきかえに, 面白い物語をしましょうか. つまり, 実話を. そのあとでひとつ質問があるんです."

ティプトリーのファンタジー短編集. 中米キンタナ・ローの住人が語る不思議な話を綴る. ストーリーより, その語り口がいい. 語り手; かぎかっこの中の "おれ" や "ぼく" と, 聞き手の "私" がつくる "間" のようなものが物語を印象づけている.