2005-07-02

日記

日記19日目. 10:00 起床, 洗濯. 二日酔いに加えて喉が痛い. 同僚のタバコにやられたか.

出社, リリース間近にどたばたと色々. 明らかにスケジューリングが甘すぎた. リリース準備の時間が計上されていなかったのはまずい. 今の上司は私が進捗の管理をさぼった時にアラートしてくれない. 自省する必要がある. しかし自分の unstability が最大のリスク要因であるのに, そのリスクを管理しているのが自分自身という状況は恐しい. 精神的な安定と集中力が欲しい.

残務はあるものの, 体調不全につき早退. 休日出勤に早退も何もないのだが. 体がだるい. 風邪をひいたようだ. リリースは数日遅れるな ... 仮リリースをして, 一週間くらいあけてから本リリースをしようか. 普通は許されないことだが, 私と隣席の同僚だけがハンドルしている仕事なのでどさくさが効きやすい. あとから怒られるのは必至だけれども.

帰宅後シャワーを浴びて横になる. 本を読もうとするも気がつくと寝ていた.

久しぶりにコードの混じった夢を見る. 私は霧の深い海の上で社内フレームワークの facade オブジェクトを見失ってしまい, 必死に探している. フレームワークは船団で, facade オブジェクトは母艦, facade が aggregate しているコンテクストオブジェクト は付随する艦船. 母艦は見当らない. 私は諦めて最寄りの港に戻り, 上司にどう報告したものかと悩んでいる. 母艦の失踪で港は混乱している. すると, 霧の中から母艦が現れる. デッキに先輩社員がみえる. プレッシャーに追われつい希望岬まで行ってしまったが, やはり申しわけなくなり戻ってきた. 舩を下りた彼はそう弁明する. こころなしか迷いの晴れた顔をしている. 寛大に許す上司. 大円団.

目が覚めると 21:30. 夏が近づき. 体調を崩すたびにこの類の夢をみる. 巨大な スタンフォードバニーやルーシー に追われる夢, 何度私をパースしてもエラーになるコンパイラの夢などを見たことがある.

13:00 出社, 18:00 帰宅. 昼飯 サンドイッチ屋 T, 晩飯 めしや丼(うなぎ丼)

履歴について (4)

ある時期から, ゲームプログラマにはなれないと思ようようになった. 大学院の頃から私はほとんどまったくゲームをやらなくなっていた. 暇潰しや中毒は他で足りていたからだ. ゲーム屋の知合いに, ゲーム開発者の能力とは何かと尋ねたことがある. ゲームの面白さを判断できること. そんな答えだった. たとえばキャラクタがジャンプしたとして, "気持ちのいい" アクションとは何か, そういう判断ができることだと. なるほどと納得した. 同時に, それは出来ないと思った. そもそも興味がなかった. ハードウェアの能力を最大限に引き出すコードを書くことや, 巨大なゲーム・システムを扱うモデルを設計することなど, プログラマ視点の能力を私は想定していた. それは一面に過ぎないことを知った. おそらくこれはアプリケーション開発全般に言えることだろう. そのアプリケーションに思い入れやこだわりがあること. 私にはそうしたこだわりのあるアプリケーションが無い. 良いアプリケーションをつくることはできないと思った. 私の知るプログラマ達がもつ抑えがたい衝動のようなもの. それを私は欠いていた. 実際は作ってみることで興味が湧くこともあるだろう. しかし職業選択の段階で, 今持たないものに期待する気持ちにはなれなかった.

大学の研究でやっていた 3DCG に関係する仕事も考えた. 私はグラフィクスの得意な知り合いが多く, 彼らを尊敬している. だからグラフィクスの世界には憧れがあったし, 今もある. しかしグラフィクスの仕事となると, ゲーム以外では CAD くらいしか想像ができなかった. しかし実際に CAD を開発する仕事は国内にほとんどないと知り諦めた. いずれにせよ私の専門知識や技術力はたかが知れていたから, グラフィクスの仕事を得るのは難しいと感じていた. (私の知っているグラフィクス・プログラマは, 総じて私より優秀だった.)

結局, 携帯電話向けのミドルウェアを開発している今の会社を選んだ. ミドルウェアはプログラマに使われるものだし, アプリケーションからの距離があるぶん私にもできるような気がした. 実際にはミドルウェアを使ってアプリケーションを作る仕事も多いし, ミドルウェア自身も種類によってはアプリケーションにフォーカスして機能を作っていく. (現に私はそうした類のミドルウェアを担当している.) だから, いずれにせよアプリケーションに無頓着ではいられないのが現実だ. しかしそんな考えはなかった. ただライブラリを作り続けるのは幸せだろう. そんな風に考えていた. 今もそう思うことはあるが, 実際にそうした "ライブラリアン" に相当する仕事は社内に殆どない. 既に完成したフレームワークがあり, その上でものを作るのが仕事だ. 無いものは自分で作るし, 無いものはそれなりにある. しかし諸事情から, それがライブラリアンによって管理されることはあまり無い.

私はこのように仕事を決めた. できないことを克服しようという気が私にはなかった. それが消去法のような選択に結びついている. 別の言い方をすれば, 私は極めてリスク回避的でかつ投資意欲が低かった. つまり臆病かつ怠惰であった.

例のごとく怠惰であるための言訳がある: 問題を克服するには時間が足りない. 気付くのが遅過ぎた. いつもそう自分を説得している.